
こんにちは、都築寛史です。
今季は前年がんの手術をした阪神の原口文仁が見事に復活を果たした。医療の進歩もあり、選手の健康管理は進化している。しかし、それでもこうした悲劇を完全に防ぐことはできないのだ。スカッグスの冥福を祈りたい。
https://full-count.jp/2019/07/03/post428384/
大谷翔平のチームメイトで、今季チーム最多勝だった27歳のタイラー・スカッグスの急死は、アメリカのみならず日本の野球界にも衝撃を与えました。頑健なアスリートの死は、ファンにも大きなショックを与えます。
1920年8月17日MLBでは、インディアンスの遊撃手レイ・チャプマンがヤンキース戦でカール・メイズから頭部に死球を受けて翌日に死亡しました。享年29歳でした。この事件がきっかけとなって、打者はヘルメットを着用するようになりました。
同じような話で、第1回日米大学野球の第2戦で、早稲田大の東門明は7回に代打で出場をして三遊間へのヒットで出塁しました。一死後、次の打者藤波行雄の二塁ゴロの際に米国代表の遊撃手の併殺を狙った送球を頭部に受けて昏倒し、そのまま病院に搬送されましたが、右側頭骨骨折による頭蓋内出血および脳挫傷で5日後、19歳の若さで息を引き取りました。それ以降、ランナーに出た時もヘルメットの着用が必須になりました。
日本での現役選手の死亡では、社会人野球の偉大な捕手だった久慈次郎の悲劇をあげなければなりません。1939年8月15日、札幌での試合で打席に立っていて捕手の送球を頭部に受けて死亡しました。プロ野球草創期の大エース、沢村栄治の球を受けた名捕手の突然の死に球界は悲嘆にくれました。今では、久慈選手の栄誉を称え、社会人野球の都市対抗野球大会で活躍した選手に久慈次郎にちなんだ「久慈賞」を授与しています。
その他、事故で亡くなった野球選手も数人いますが、志半ばでこの世を去ったことは残念でなりません。