
こんにちは、都築寛史です。
当時、サーキットにいたカメラマンが口をそろえる94年のサンマリノGP。今なお、「史上最高のF1ドライバー」と称されるアイルトン・セナに、あの日、何が起きたのか?
https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2014/05/01/29513/
F1レースの事故は数多くありますが、忘れられないのは1994年のサンマリノグランプリの音速の貴公子アイルトン・セナの死亡事故でしょう。
予選初日に、セナの同郷の後輩ルーベンス・バリチェロが、マシンが宙を舞うほどの大クラッシュをして、病院に運び込まれる大怪我をしてしまいます。これが、不吉な予兆だったのかもしれません。
予選2日目に、ラッツェンバーガーがマシンからフロントウイングが脱落して、ヴィルヌーヴコーナーのウォールに激突し、即死してしまいました。
5月1日、沈痛な雰囲気の中、それでも決勝レースは続けられました。
それでも、決勝レースが始まっても悲劇は続きました。スタートでエンストしたマシンに後続車が突っ込むというアクシデントが発生。マシンの破片が観客席にまで飛び散り、負傷者が出て、サーキットは騒然となり、セーフティカーがコースインする波乱の幕開けとなりました。
セナは、スタートダッシュが見事きまり、ミハエル・シューマッハを抑え、トップをキープしていました。シューマッハも食らいつきますが、セナはトップを譲りません。
そして悲劇は、7週目に置きました。
セナがタンブレロコーナーをコースアウトして、そのままコンクリートの壁に激突してしまいました。マシンは大破して止まりました。即座にセナの救出活動が行われ、病院に搬送されたのですが、セナは自力でマシンから出てくることはありませんでした。
F1レース史上もっとも悲しい日となりました。